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第3回は財団法人平成基礎科学財団の「小柴昌俊科学教育賞」受賞者で元豊橋市視聴覚教育センターで学芸員を勤めた科学教育ディレクター・豊増伸治(とよます しんじ)さんをご紹介します。
豊増伸治さんプロフィール
豊橋技術科学大学大学院物質工学専攻修了。和歌山県美里町のみさと天文台で主任研究員として勤務中、財団法人平成基礎科学財団の「小柴昌俊科学教育賞」を受賞。その後豊橋市視聴覚教育センター学芸員、豊川市ジオスペース館でプラネタリウムチーフとして活躍。現在も様々な活動を行う。
仕組みを調べて検証するから、暇になったことがない
――技科大卒の学芸員というキャリアがどのように育まれたのか教えてください。
豊増:小さなころから考えるのが好きで。仕組みを調べたり、いじってみたりすることが好きなんですね。それでそれを検証したり、実践するのはもっと好き。
そのうちの一つが天文でした。小中学生のときに「パノラマ太陽系」(*1)やカール・セーガンの「コスモス」(*2)などの番組と出会い、夢中になって見ました。それで実際に星を見たいなと思って岩屋山へも来たんですが、あんまり見えないんですよ。今思えば豊橋もわりと星はきれいに見えるんですが、場所を探さないといけなかったんですね。海まで行って見ることを思いつきました。また、そのころ友人が望遠鏡を持っていたんで月を見てみようとしたけど、思ったように照準が合わなかったってこともありました。難しかったですね。10分格闘してようやく見れた。
そういう経験があるとね、本とか読んでいると変だなって思うことがあるんですよ。
――本が変?
豊増:というか、違和感に近いのかな。これ実際にやってないよね、と言うか。例えば日食の写真とかありますよね。連続写真で丸から三日月状になって、また戻ってくる、みたいな。あれって実はかなり難しい露出調整が要るんですよ。よく見ると本にもちゃんとそういうこと(計算値)が書いてあるんだけど、天候って毎日違うから本にある通りにやっても同じような色調や大きさ、明るさで撮れるわけがないんです。
で、自分でもこれ出来るんじゃないかと思って考えて。カメラと三脚をもう一組別に借りて、全てのシャッターの前に実測して補正値をだして、だいたい完璧かなっていうのが割り出せた。実際やったらその通りできちゃった、というか。雑誌に入選は逃しましたが、こんな完璧な連続写真は自分でも見た事が無い。もうね、こういうのが楽しいんですよ。全然飽きない。
こういうことをしてると本当に暇にならないですね。毎日考えることがある。考えて、仕組みを調べてやってみる。実証する、ということは僕にとっては大切なプロセスですね。
――それで宇宙につながる物質工学の道に。
豊増:技科大を選んだのは、家から近いっていうのがかなり大きかったですね。あとは実験がたくさんできると思ったのもあります。実際実験はたくさん出来ましたし、別の学科の単位も取りまくったり、大学生活は思った通り楽しかったですね。天文部や新聞部、今でいうYouTuberの動画みたいなのを作ったりと部活動もたくさん掛け持ちして、そういうところも忙しかった。
▲豊橋市視聴覚教育センター前の日時計。日本のプラネタリウム普及に多大な貢献をした金子功氏の銘がある。
豊橋の天文台にはターゲットを絞れない難しさがある
――YouTuber!?
豊増:アニメ研とかなんですけど、そこでの学びは後で相当苦労することになるので、ストーリーや脚本をしっかりさせていないと辛いということですね(笑)。やっぱりなんでも基礎が大事。
まあ、そんなこともあったりしつつ、卒業後の進路を考えていたときに、やっぱり天文の仕事がしたいなと思った。学芸員さんに「どうやったらなれますか」って聴いたりして情報収集したり、野辺山の電波天文台に入り浸ったり(受託院生としてお世話になったり)……ってしているときに和歌山のみさと天文台の募集があって。
――みさと天文台でのお仕事は本当に多岐にわたられたとか。
豊増:美里町は日本有数の星のきれいな町ですが、いかんせんすごく不便なところにあるんです。だからいろいろな能力が鍛えられました。天文だけでなく雪かきからITまで。行政や住民の皆さんとの調整もですが、自分が言い出しっぺで周囲が動くので休めない。しかもどんどんアイディアを思いついちゃうし(笑)。
あの頃は本当によく働きました。3時間しか寝てなくても起きたらアドレナリンがバンバン出て働けちゃう。そういう環境でした。おかげさまで町内・県内・全国・海外とのいろいろな教育連携も出来て、美里分校での活動では小柴賞も頂けました。
だけどやっぱり、12年位でそういう生活に体力的な限界が来ました。幸い天文台の存続は安泰になったので、僕としても守れたなってタイミングでもありました。それで次の目標を探していたら、ちょうど豊橋の視聴覚教育センターの学芸員の募集が出ていたんです。
――豊橋の教育施設でのお仕事はいかがでしたか?
豊増:豊橋はみさと天文台とは違って、これでもわりとまちなかにありますよね。もともと豊橋には向山天文台(*3)があって、天文の素地もある。視聴覚センターは大岩町にありますが、このエリアは自然史博物館(*4)も近くて、教育に力も入れています。そういう場所だからみさと天文台の時ほどは狙った企画はできないですね。みんなに開かれた場所でないといけない。配慮も各方面に必要で、星を見るために遠方から人が訪ねてくる天文台とは違った難しさがありました。
でもね、やっぱりやりかたはあるんですよ。それが見つけられると、すごくうれしいっていう。
子ども心に頑張っている子の基礎を整える環境を作る
――例えばどんなときにやりがいを感じられますか?
豊増:これは豊川での話ですが、マニアみたいな子がいて、かなり頻繁に遊びに来てくれてたんです。よくできる子で、多分友達では物足りなくて、学芸員を捕まえて本や図鑑で得た知識を話しに来る。
その子と何かのタイミングで英語の話になって、小学生なのに英検を受けるっていうんですね。それで僕が、「僕も英語やってるよ、めざせTOEICで900点だ!」みたいなことを言ったら、「えっ、このおじさんただのプラネタリウムの人じゃないんだ」みたいな。そこからは一種の尊敬をしてくれて、さらに色々話しかけてきてくれました。
僕、教育は5秒だと思うんですよ。5秒、たった一言で子どもは変わるから。
――その5秒を作りたいけれど作れない大人は多いと思います。
豊増:下準備がいるんですよ。その子から絶大なる信頼を得ておかないといけないっていうね。これが難しい。そして、適切なタイミングで、その子に響く言葉で伝えないといけない。安易な手段になっちゃったら、見透かされて逆効果です。
実際にこの5秒で子どもが変わった瞬間を見たことがあって。美里町にいたときに”さわがに横歩き選手権”っていうイベントをやっていまして、そこにボランティアで関わってくださっていた前田先生という方がおられたんです。この先生は本当に凄くてね、ある男の子がさわがにを選んでいる様子を見て「おっ、きみうまいな!」って声かけしたんです。たったそれだけで、その子は自信をぐっと持って、もう翌年からさわがにのエキスパートです。
だけど僕もこの5秒をいつでもつくれるわけがない。だからその前段階の、頑張っている子の基礎を作る環境を、自分も楽しみながら作りたい。基礎さえあれば、どこかでその5秒を与えてくれる人に出会うだけで、この頑張りはダメじゃなかったと思ってポンと変わるから。
科学は再現性がある、つまり誰にとっても成功できる鍵
――基礎を作ることの重要性ですね。
豊増:僕はエネルギーって、川の水が川上から川下に流れていくように、一定の法則があると思っているんです。もちろん途中で変なこともあるけど、長期的に見れば法則に従って流れている。
だから、そういう変化の法則を知ることで、自分が望ましい方向を選ぶことが出来る。6:4で失敗するとしても、より成功の可能性が高い方が見える。そういう法則性があるっていうことを体系的に学ぶことはすごくいいと思います。
もちろん科学とか、最低限の知識に到達することが困難な人がいる(環境が与えられないことがある)ことは知っています。でも、科学は条件さえ整えれば自然に同じ結果が出るんですよ。これって凄いことで、誰にとっても平等にチャンスがあるっていうことだって僕は思っています。
――豊増さんはとてもポジティブで、人類の明日を信じているって感じがします。
豊増:人類の明日を信じてるんじゃなくて科学を信じてます(笑)。
豊橋ってよくも悪くもなんとか食べていけるというか、無理しなくても十分暮らしていける場所で、それはそれでいいことなんです。都会へのへんな憧れも無いですし。でも、小さくまとまっていないで、それを振り切って外に出ていく人は凄いエネルギーを持っている。そのエネルギーを貯める基礎を、心の余裕を、多くの人が持てたらなと思っています。
*1 1980年にNHKの総合テレビで放送された天文科学番組。主題歌は八神純子「Mr.ブルー 〜私の地球〜」。
*2 天文学者のカール・セーガンが監修した世界的に有名な宇宙に関するドキュメンタリー番組。
*3 豊橋市出身で、日本のプラネタリウム黎明期の「金子式プラネタリウム」で知られる金子功氏が設立した天文台。
*4 豊橋市豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)内にある自然史系博物館。
(聞き手:当法人 代表理事 村井真子)
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