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移住者インタビューVol.8 奥田至穂さん

蒲郡市出身で、豊橋・名古屋・埼玉県への移住を経て現在豊橋市内・水上ビル(松山校区)にて花屋を開業されている奥田さん。様々な土地を経験してきた奥田さんが感じる豊橋の「ちょうどよさ」について伺いました。

奥田至穂さんプロフィール
20代に生花店、生花市場勤務にて花修行を積み、国家資格のフラワー装飾士2級を取得。 オランダでフラワーデザインを学ぶ。埼玉にて『はなしごと空花』を主宰し、フラワーアレンジメントとプリザーブドフラワーを教える。 2016年に配偶者が『花職人 和び咲び』を起業、現在は自身も経営に関わる。
『花職人 和び咲び』Instagram https://www.instagram.com/hana.wabisabi/

■蒲郡の高校生から見たら、豊橋はおしゃれな都会だった

――奥田さんは蒲郡のご出身で、就職で豊橋にいらしたんだそうですね。

奥田さん:高校卒業まで蒲郡です。卒業後、豊橋市内のホテルに就職しました。当時、私にとって豊橋って都会のイメージで。高校生くらいだと、洋服買ったり、映画見たり、友達と遊ぶのは豊橋でした。豊橋に行けば何でもあると思ってた、そのぐらいの印象でした。高校に豊橋から通ってくる子は凄くおしゃれに見えて、やっぱり都会の子は違うなって思ってた。

それで豊橋を就職先に選んだんですけど、当時の自分の感覚では、蒲郡と豊橋ってすごく遠くて、通勤はできないと思ってたんですよね。今考えるとすごく近いんだけど、特に会社からも言われなかったので、そのまま社員寮に入りました。

――豊橋は何にもないっていう方が多いです。

奥田さん:そうなんだけど、蒲郡よりはお店があるって思いました、子ども心に。

それでホテルで働き出して、興味を持ったのがお花の仕事だったんです。ホテルですから花屋さんが装花というか、レストランに活けこみに来るじゃないですか。シュッシュッ、って。かっこいいなと思いました。花を活ける姿に憧れたんですね。

それで、ホテルの仕事を辞めて実家に戻って。タウンワークに乗っている花屋に「修行させてください」って片っ端から電話してました。そのときにフラワーショップ花夢というお店で働かせてもらったんです。ここがいい会社で、自由にのびのび働かせてもらいました。

――行動力がすごいですね。オランダにも修行に行かれたとか。

奥田さん:市場でデモンストレーションがあったんです。それがもうかっこよくて。終わった後にプレゼンターの人が「オランダにお花について学びに行くツアーがあります」って言うから、「行く行く!申込書ください」って食い気味に言って、その場で行くことを決めました。60万円くらいのツアーでしたが即決して。そこで本当にいろんなことを学びました。

実は夫ともこのツアーが縁で知り合ったんです。彼は埼玉県浦和市にある花屋の三代目で、跡取りだったんですけど。

――ご結婚して豊橋に来たわけではないんですよね?

奥田さん:結果的には連れてきちゃいましたけど、結婚してすぐ豊橋に住んでいるわけじゃないんです。

■都会には山がない――出て初めて感じる「空気」

奥田さん:オランダでの経験が本当に刺激的だったので、もっといろんな花屋を見たいと欲が出たんですね。それでお店を辞めて、名古屋にまず引っ越して。名古屋の花屋に就職して、生花市場でも働きました。名古屋はやっぱり都会でしたね。

このころ夫と付き合い始め、浦和と名古屋で遠距離恋愛してたんですが、子供を授かったことで、私が夫の実家のある浦和市に移住しました。

――名古屋も都会ですが、浦和も都会ですよね。

奥田さん:大都会ですよ! 夫の実家の花屋は駅のすぐそばだったので、本当に歩いて五分で伊勢丹に着くみたいな世界でした。凄い環境。

浦和でのエピソードなのですが、私、山がなくてホームシックになったんです。

――山がなくて?

奥田さん:スーパーの立駐に上った時に、周囲に全然山が見えないんですよ。見渡す限りビルで。えっ、山ない!!って、自分でもびっくりするほどショックを覚えました。そこではじめて自分にとって当たり前にあった、空気みたいにあったのが、「あるのが当たり前」じゃないことに気が付きました。

自分の原風景は、蒲郡で川でザリガニ取ったり、蝉取ったり、みたいなところにあったんです。だから、山がない風景があるってことを多分想像してなかったんですね。

だから、大げさに言うと愕然としたというか。ここで子ども育てられるのかな、自分が経験してきたようなことができるのかな、って。

たまたま夫も、家業の花屋は弟に継いでもらうことができて、埼玉を離れることができる状況だったので、じゃあ出てしまったほうがいいかなって思いました。

――蒲郡ではなく、名古屋でもなく、豊橋を選ばれた理由はなんですか?

奥田さん:名古屋や浦和に住んだことで、自分の中で空気みたいに思ってた自然の中で子供を育てたいなと思ったのが一番大きいです。

実際、子どもは豊橋に引っ越してきた当時年中さんだったんですけど、保育園を見てびっくりしたみたいなんですね。浦和の保育園は住宅地の中にあるから狭いし、園庭なんてなかった。それが、転園した大村保育園(現 幼保連携型認定こども園 大村こども園)はすごく広々した園庭があって、遊具もいっぱいあって、それまで「引っ越しなんて」って言ってた子が「ここ通う!通いたい」ってもう目をキラキラさせて言ってくれた。それは本当に大きな要素でした。

ちなみに浦和では保育園って本当に待機児童も多いし、兄弟でも同じ園じゃなくて違う園に入れる――というか、入れればありがたいみたいな感じなんですけど、大村保育園は本当に「いつでもいいよ」みたいな感じでしたね。それもうれしい驚きでした。

――豊橋は保育園の入りやすさは定評があるようです。

奥田さん:あとは交通の便も決め手でした。夫は浦和から知り合いが私たちしかいないところに来るので、埼玉に行きたいと思ったらすぐ行けるように、新幹線の便のいいところ、高速の便のいいところは住居探しの譲れない条件のひとつでした。

あとは、就職先の問題もあって。私、実は、自分が働いていたフラワーショップ花夢さんを夫に紹介したんです。直接お電話して、二人で挨拶に行ったら社長もご快諾くださって。勤め先を確保できたのは大きかったです。蒲郡だと田舎すぎるし、名古屋じゃ都会だから浦和を出てきた意味がなくなるので、豊橋市内で通勤可能な範囲という条件で絞っていって、保育園も見つかったし、じゃあここに住もう、って決めていきました。

■再開発で変わったまちなかエリア

――現在は水上ビル(*1)でお店を構えていらっしゃいます。

奥田さん:夫が2016年にオープンした「花職人 和び咲び」で、私も現在はこちらで働いています。

水上ビルって、高校生の時は洋服屋さんが多くて、それこそおしゃれなイメージだったんですけど、戻ってきたときはすごく寂れている印象でした。年に一回「sebone」(*2)のイベントがあるので、そのときは子どもを連れていくけど、あんまりお店もなくて魅力がないというか。

なので、夫が「空き店舗ツアー」(*3)で水上ビルを見に行って、ここにお店を出すって決めたときは少しびっくりしましたね。当時はまだ、再開発の計画が決まったくらいで、開発ビルも名豊ビル(*4)も残ってたので。

――今のあのあたりとは雰囲気が違いますよね。

奥田さん:全然違いますよね。今だから言えますけど、夫は当時、お店のことを「牢屋」って呼んでたんです。まだ大きなビルの影だから昼間でも薄暗いし、人なんか通らないし。花屋にとって仕入れた花が売れないのが一番つらいのですが、本当にそんな雰囲気でした。でも、だんだん結婚式のお仕事なんかもいただくようになって、忙しくなってきて、そのうちに水上ビル自体がすごく活気のある場所になって、再開発(*5)もされて……って、すごくいい雰囲気になりましたね。

――豊橋のちょうどよさの象徴みたいな気がします。

奥田さん:都会では、お店一つ一つが小さくて、没個性なチェーン店が多いけど、こちらでは土地は広いし、個性のあるお店も多いですよね。自然もたくさんあって。そういうのって、ずっとここにいるとわからない気がしてます。

いったん外に出たからこそ、ここがちょうどいいな、って思うのかもしれないですね。

(聞き手・当法人 代表理事 村井真子)

*1 愛知県豊橋市のまちなか東西800メートルにわたって連なる板状建築物群の通称。現在の建築基準法では認められない水路の上に建築されたビル群で、「みんな!エスパーだよ!」など数々の映像作品のロケ地としても有名。

*2  水上ビルで年1回水上ビルを中心に開催される都市型アートイベント。アートを用いてまちなか活性化を目指している。

*3 豊橋のまちなかの空き家・空き店舗を減らすために定期的に実施されている「まちなか空き家・空き店舗見学ツアー」のこと。株式会社豊橋まちなか活性化センターが主催。

*4 開発ビル、名豊ビルともに豊橋のまちなかをかつて代表した建物。開発ビルはボウリング場や長崎屋なども入居。名豊ビルは豊橋グランドホテルや中日文化センターが入居しており、豊橋市民のランドマークだった。両建物とも再開発に伴い惜しまれつつ取り壊された。

*5 名豊ビル・開発ビルを含む豊橋市の市街地再開発事業再開発事業のこと。現在は「em CAMPUS EAST」が建てられており、豊橋市まちなか図書館を含む豊橋市の新ランドマークになっている。

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