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しごと

豊橋の中のトンガリさん vol.4 浪崎栄恵さん

面白いまちには面白い人が住んでいる。

豊橋市の面白い人、尖った人を紹介したい!この人突き抜けてると思える人と繋がりたい。

このコーナーはそんな思いから生まれました。

第4回は看護師として働きながら豊橋市でバードカフェ「小哲の部屋」を経営し、鷹匠としても活躍している浪崎栄恵さんをご紹介します。

■ 浪崎栄恵さんプロフィール


豊橋市にて生まれ育ち、常に動物に囲まれた生活を送る。2014年、雛鳥であったハリスホーク・小哲と運命の出会いを果たす。その後放鷹術の世界に飛び込み、鷹匠の道へ。現在も看護師として働きながら、鳥や動物たちと触れ合える環境を提供する場として「小哲の部屋」を開店し、命の大切さを伝えている。

バードカフェ「小哲の部屋」

■信頼を得るためには、行動を積み重ねるしかない

――鷹匠という肩書が目を引きます。鷹は昔からお好きだったんですか?

浪崎:子育てがひと段落して少し余裕ができたとき、今まで飼ったことのないコを飼いたいな、という思いが湧いてきました。小さな頃から動物がすごく身近で。あひる、がちょう、犬、鯉、リス……いろんな動物が家にいたんですよね。たぶん常時10種類くらいはいたんじゃないかな。でも、猛禽類は飼ったことがなくて、じゃあそれを飼おう、と。

猛禽類で飼育できるコだとフクロウか鷹になるんですが、私、顔の好みでぶちゃ顔よりシュッとした顔が好きなので、鷹かなと。卵の時点で予約して、雛になってから小哲と出会いました。もう、一目ぼれでした。

そこから10年、ずっと、小哲に選ばれるために努力をしています。

――小哲に選ばれる?

浪崎:私は小学校やイベントなどで小哲のフリーフライトの実演を見せています。この時、小哲にはリードのようなものは付けていません。じゃあ、なんで小哲は戻ってくるのか?

小学校でこの質問をすると、子どもたちが一番多く言うのは「餌をくれるから」なんです。でも、小哲は自分で狩りもできるので、実は餌の確保は自分でも出来るんですよ。だからそれが理由じゃない。理由は、小哲にとって一人でいるよりも私といるほうが快適だからなんです。

つまり、私は小哲にとって快適な環境を提供し続けなければならない。雛のころからずっと、小哲が快適である、ストレスの少ない状態を維持しています。私のそばにいたほうが安全だ、そのほうが小哲にとっていい環境なんだ、ということを行動で示し続けるということです。

人間も同じですが、信頼って一度壊れたら修復は難しい。動物は言葉が通じないから、余計にそうです。嘘をつかない、だまさない、イヤなことはしない、誠実に向き合う。ひたすら行動で積み重ねているからこそ、小哲は私を信頼して戻ってくるんです。

――信頼を得る、ということは本当に難しいことです。失うのは一瞬ですよね。

浪崎:そうなんです。だからこそ、ただ居てくれるだけでも嬉しいですよ。繋いでいないということは、このコたちは自由意志で側にいてくれるということですから。

「小哲の部屋」は、ケージの戸を閉めていません。みんな好き勝手に飛んでいるでしょ。皆さん驚かれますよ、異世界感があるみたいで。猛禽類は小鳥を食べてしまうので部屋を分けていますが、インコもジュウシマツも文鳥も自由にしています。

お店ではふれあい体験ができると言っていますが、触れ合えるかどうかは極論このコたちとお客さん次第ではあるんです。イヤなときは来ないし、触ってほしければ寄ってきます。突然乱暴に触られれば人間だってイヤでしょう。怖い思いをしにわざわざくるコはいないから、寄ってきてくれるのは、それをこのコたちが望んでいるってことなんです。

■ただ「一緒にいる」ことの尊さと喜び

浪崎:多くのペットショップでは、このコたちは商品なんです。ケージに入れておくのは、商品を傷つけないためです。安全で怪我をしない環境はケージの中のほうなんです。でも、私は自分だったら怪我しても自由なほうがいいなと思って、うちのなかでは放し飼いですね。もちろんハンデのあるコ、怪我をしているコはケージに入れて保護しますけど。

そして商品ということは、このコたちがお店の賃料、光熱費、人件費、そういうものを稼ぐための売上を立てる必要がある。売れなくてはならない、ということです。そこがうちのお店と違うところで、私は別にこのコたちが売れなくてもいい。(笑)

私の食い扶持をこのコたちに稼がせることになると、ストレスになったとしても集客のために強制的に触れ合わせる、みたいなことになります。それが、私はイヤなんです。

――浪崎さんが看護師の仕事を続けているのも、そのあたりが理由でしょうか?

浪崎:私は自分の食い扶持を自分で稼ぐので、このコたちがイヤな思いをして無理に働かなくてよくなる。

とはいえこのコたちも食べる必要がありますので、小学校などの触れ合い体験教室やイベント出演で自分たちで自分たちの食い扶持を最低限働いて稼いでもらっています。

――お話を伺っていると、すごく尽くされているというか、献身的な愛を感じます。

浪崎:このコたちに見返りを求めてないからではないでしょうか。私は自分が好きでこのコたちと過ごしている。

人間に対しても同じかなと思うんですが、自分の行動に見返りを求めると苦しくなります。

世話したんだから自分の介護をしてほしいとか、そういう期待をかけてしまうと応えてもらえないことにがっかりしたり。人間は言葉があるから、猶更むずかしいです。

でも、このコたちに介護してって期待しないでしょう。ありふれた言葉ですが、無償の愛ってこういうことかなと思います。愛でさせてくれる、生きていて反応してくれる。一緒にいてくれるだけでいいんです。

私、小学生の時にリスを飼っていて。お小遣いをもらうと、シマリスを肩に乗せて、自転車に乗って、シマリスの好物のミニトマトを買いに行きました。自分がおやつを買って食べるより、ミニトマトを食べているシマリスを見ているほうが楽しかった。その感覚が今も続いています。

△鶏のトサカも触ることができる。指先で撫でられるとこんな気持ちよさそうな顔も。

■命との関わり方を知らないなら、関わる機会を与えたい

――「小哲の部屋」もそうですが、ふれあうという体験を提供する理由は何ですか?

浪崎:いま、豊橋市内の小学校は鳥小屋がなくなっているんです。それは色々な理由があるんですが、結果として子どもたちが生き物のお世話をする、触れる、という経験を積む機会がなくなっている。

たとえば、うちに来る子は基本生き物が好きなんですけど、鳥の尾羽を触ろうとして威嚇されることもあるんです。でも、威嚇される理由がわからない。生まれたてでまだ飛べないような小さな雛を、目の高さまで持ち上げて落とそうとする子もいます。慌てて止めましたが、本人は飛ぶ練習をさせているつもりなんです。そこに悪意は全然ない。単に知らない、想像力が及んでいないだけです。生き物が好きな子でそういう状態なんです。

でもこれは、そういう体験を大人が与えていないからでもある。機会を与えられなければ、気づきも、学びもありません。例えば、小鳥が自分の肩や腕に止まって、鳥の重さを感じること。例えば、鶏のトサカの柔らかさや温度に触れて気が付く体験。そういうものは、インターネットや図鑑では得られないものなんです。

――想像力を働かせる前提の体験がない、ということですね。

浪崎:生き物が好きな子ですら、ふれあい方が分からない。そうじゃない子は尚更ですよね。

私は小学生には、「自分がされたらイヤなことはしないでね」と言います。中学生以上なら、「相手がされてイヤなことはしないでね」と言います。これは大きな違いなんです。自分がされてイヤじゃなくても、相手はイヤかもしれない。それは想像しないとわからない。でも、想像するのにも体験が必要なんです。自分が良くても相手がイヤだという体験です。それを、このコたちとのふれあいで学ぶことができるんです。

人間は言葉があるからこそ難しいときもあります。思ってもいないことを言ってしまったり、言いすぎたり。自分に嘘をつくときもあります。でも、動物たちはイヤなことはイヤだと態度で返してきます。イヤではない、好きだ、と思ったら近づいてきてくれます。

言葉が通じなくても理解し合うことはできる。知ることで想像力を働かせられる。命の関わり方を教えるのも、私の仕事なのかなと思います。

***

*放鷹術 鷹匠と鷹と呼吸を合わせて狩りを行う技術。テーマパーク等で演技を行うほか、鷹の繁殖、雛の育成を行うとともに害鳥駆除で活躍するなど現在も実用的な技術として継承されている。

(聞き手:当法人 代表理事 村井真子)

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